坂田師匠の経歴まとめ!どんな人なのか面白い逸話も紹介!

通称『アホの坂田』や『坂田師匠』でお馴染みの坂田利夫さん。
芸名は将棋技士の坂田三吉という方が由来だそうですが、本人は将棋は苦手だそうです。
今回はそんな坂田師匠とは一体どんな人物なのか、経歴をまとめてみました。
また、面白い逸話もご紹介しますので、是非ご覧下さい!

目次

どんな経歴?

漫才コンビ『コメディNo.1』時代

  • 1967年に前田邦弘さんとコンビを組み『コメディNo.1』を結成する。当時新喜劇に出演する喜劇俳優として活動していたが、西川きよしさんから「漫才は儲かるで」と勧められて喜劇俳優から転向した。
  • 1970年第5回上方漫才大賞(ラジオ大阪)新人賞受賞
  • 1971年第一回NHK上方漫才コンテスト最優秀話術賞受賞。この2度の栄冠で坂田さんはお笑いの道への専心を決意する
  • 1972年第一回上方お笑い大賞(読売テレビ)金賞受賞。同年8月にあの有名な登場曲『アホの坂田』のレコードが発売される。
  • 1979年第14回上方漫才大賞(ラジオ大阪)大賞受賞
  • 2009年8月31日をもってコメディNo1を解散し以降はピンで活動する。
  • 出身は大阪府大阪市。高校を卒業後、職を転々とした後に吉本新喜劇の研究生として吉本入りし、前田邦弘さんと漫才コンビ『コメディNo.1』を結成!その後は上方漫才大賞新人賞や1972年にはレコード『アホの坂田』なども発売したり映画に出演するなど幅広いジャンルでご活躍されてます。

映画にも出演経験あり!?

映画『0.5ミリ』

  • この作品は安藤モモコさんの小説(2011年幻冬社により出版)ご自身の介護経験を元に着想を得て書き下ろされた。
  • この作品では、石黒茂というお年寄り役で出演。自由気ままに生活する一方、裏で日常的に工具を使って自転車を盗んだりタイヤをパンクさせるなどの迷惑行為キャラを演じた。

坂田師匠はどんな人?

おもしろ逸話集

  1. 子供の頃には度々知らない人やチンドン屋について行ってよく迷子になっていたそう。その為「この子は病気です、どうか家にお届け下さい」と書かれた札を付けさせられたとか、、、
  2. 妹の結婚式で「ふつつかな妹ですが」と言うべきところを「ふしだらな妹ですが」と言っていた。
  3. 歩くことが大の苦手である
  4. 鰻が大好物。だが何故か食べる時はで食べるそう
  5. 家では裸で過ごすことが多い。その理由は、怖がりなためもし幽霊が出ても自分が裸でいれば「幽霊も恥ずかしがるかも」と思ったからだという。

まとめ

最期

最晩年は出演は減少し高齢者施設に入居していたが、親交のあった間寛平さんのSNS投稿などで近況も伝えられており、2022年4月になんばグランド花月で行われた吉本興業創業110周年特別公演「伝説の一日」に出演し、同年7月30日のYES THEATERで開催された「さざなみ寄席」に出演したのが生前最後の舞台出演となった。

2023年12月29日
老衰の為、大阪市内で死去した。82歳没。臨終は晩年も親交のあった間寛平夫妻が看取ったそうです生涯独身を通す形となった。

私が子供の頃、お正月の漫才特番でご出演されているのをテレビで拝見していました。漫才もとても面白かったのを覚えています。新喜劇にも時折出演されているのを見て、オチが分かっていてもつい笑ってしまい見入っていたのを覚えています。
漫才の表彰も数々受賞されていて改めてすごい方だなと思いました。

坂田師匠長い間お疲れ様でした。たくさん笑わせて下さりありがとうございます。
ごゆっくりお休み下さい。

ご冥福をお祈り申し上げます。

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